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社長の経営日誌

 FILE No.249 2011.11.19
「 新宿伊勢丹前事件(3) 」

(前回からの続き)

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 事件が起こった
新宿・伊勢丹百貨店

当時の猪木夫人、女優の倍賞美津子の証言

「もう怖くて怖くて…。目の前であの人がやられていても足がすくんで動けないんです。『誰かお巡りさんを呼んでください!』って叫ぼうにも舌がもつれて、こんな恐ろしい経験は初めてです。
ちょっとだけプロレスラーと結婚した事を後悔しました。でも大きな怪我がなくて良かった。それに一般の方々に怪我がなかった事が不幸中の幸いでした。」

そして、最大の被害者である猪木本人のコメントです。
事件当夜に東京スポーツが取材した時と、シリーズ終了後に改めてインタビューを受けた時のものを要約します。

アントニオ猪木の証言

「久しぶりに試合がないので、女房、弟と待ち合わせて羽田まで人を出迎えに行き、その帰りに買い物に伊勢丹に寄ったんだ。
弟と一緒に荷物を持って出てきたら連中がちょうどタクシーから降りるのが見えた。あいつらも買い物かと思って見ていたら視線が合った。
まあ、いつもリングで血みどろになって戦っている相手だしファンの前で笑顔は見せられないから俺はそっぽを向いたんだ。
女房が先に行ってタクシーを停めたので、そっちに向かって歩きかけたら突然後ろから殴られた。こっちもカーッとなってそれからは何がどうなったかはよく覚えていない。
一発ガチンとこっちのパンチもいいやつが入ったのは覚えているけど相手は三人だからね。
(失礼だがストロングスタイルで日本最強とまで言われた貴方が一方的にやられたのは意外だった。猪木はそんなに弱かったのか?という声もあるが…。)
「冗談じゃない(苦笑)。こっちは荷物を持っているところを後ろからの不意打ちでしかも三人がかりでしょう。とにかく私は周囲の人たちに怪我をさせちゃいけないとそればかりが頭にあって最初は手出しをしなかったんだ。喧嘩なら堂々とどこか人のいない海岸か山にでも呼び出してやればいいんだよ。
なんだかんだ言ってこれは内輪の喧嘩、それを街頭でやってしまったのは醜態、お騒がせして申し訳ないとい思っています。
(内輪の喧嘩と言うと、シンとの間にリング外でもトラブルがあったのか?)
「心当たりがない事もない。シンは今度のシリーズの条件で、やれ朝が早すぎるの、ホテルがどうの、マッチメイクがどうのとつまらない事にクレームをつけてきたので『うるせえっ!』て怒鳴って電話を切った事がある。
ウチとしては契約通りやってるんだからがたがた言われる筋合いはない。
移動時に駅で一緒になってもなるべく顔を合わせないようにしていた。
だが、たまに同じ車両に乗ると一番前に座った俺を一番後ろに座らせたシンが睨んでいるのを背中に感じた。振り向くと蛇のような目でゾッとしたよ。
この野郎、やるか!って思ったけどレスラーはやはりリング上で勝負するべき。俺が喧嘩ファイトと言ったのはあくまでリングでの事だよ。
そのリングでもとにかくシンは気が狂っているんですよ。ほんの少しの事でカーッとなる。30日の名古屋では観客に襲いかかって止めに入った警官とやりあったり、リングにサーベルを持ち込んだりするので『汚い事をするな。』と注意したら2日の小松大会では手錠まで持ち出して来た。
外人係を通じて『レスラーならレスリングをやれ。』と申し入れたんですが、こうした遺恨が爆発したのかもしれないね。
それ以外には特に心当たりがない。ウチのやつ(美津子夫人)は、『私があまりに綺麗なんで嫉妬したんでしょう。』と言ってたけど(苦笑)。」
(事件後、結果的に興行は盛り上がりましたね。)
「私とシンの遺恨という目玉ができましたからね。こっちの災難を利用して営業の連中もテレビ局も抜け目がないですよ。
しかし私はプロはそれでいいと思うんです。力道山先生ならすぐにデスマッチをやったと思うしね。」

(なぜ被害届を出さなかったのか?)
「これがシリーズの終わりだったら奴を国外追放にしても良かったんだがシリーズ中だと地方のプロモーターやファンに迷惑をかけてしまう。
それにリングで決着をつけないまま帰したくなかったしね。
レスラーにとってはこれぐらいの怪我はどうって事ないから告訴なんて大げさな事はせずリング上で制裁してやろうと思ったんです。」

シンの暴挙に怒り心頭ながらも、事件をビジネスに結びつけるプロモーターとしてのセンスとプロ意識を感じさせますが、事件から20年以上が過ぎた90年代のインタビューで猪木は改めて当時を振り返りこんな発言をしています。

(96年発刊 「闘魂伝説の完全記録」より)

(あの事件は当時も演出ではないかと騒がれたが、猪木さんは本当にシンが襲って来るのを知らなかったんですか?)
「知らなかったね。けれども今思えば、誰かがセッティングはしていたのかもしれないね。会社の誰かが俺のスケジュールをシンに教えてけしかけた可能性はあると思うよ。
あの頃の新日本プロレスの社員は皆、必死にいろんな事を考えていたから、俺に内緒でそれぐらいの仕掛けをするぐらいはやりかねなかったからね。
勿論その時はそんな事考えもしなかったし、理不尽にやられた事に腹も立ったけど、何て言うのかシンの何が何でものしあがってやる、自分自身を売り出して成功してやるというエネルギーみたいなものに感心しちゃったんですよ。
若い時には自分がスターになるのに必死になって結果的に暴走する事があってもいいと思うんです。ああいう乱闘事件は決していい事じゃないけど、人を振り向かせるには非常に頭脳的でしたよね。
丁度お互いのテンションもぐんぐん上がっていた時だからそういう偶然も呼び込んでしまったのかもしれないしね。

俺にとっては悪い偶然だったけど、プロレス界にはいい偶然だったでしょ?
プロレスにおける事件を捉える時に重要なのはプロレスは単なるスポーツではないという事なんだよね。
そのへんの感覚が昔のプロレスマスコミは鋭くて起きてしまった事を追っかけてどうこう理屈をつけるんじゃなくて、俺たちの心理状態や無言のうちに投げかけたサインを盗み取ったり感覚的にキャッチして、例え憶測記事だとしても先行して物語を膨らませていく力があったんです。
だから記事も面白かった!その記事に煽られてよし、乗ってやろうじゃないかってそれを実行する事もあったしそれを記者も楽しんでいたりといういい関係があったんですよ。」

自分はあくまで知らなかったものの第三者が仕組んでいた可能性を示唆し、ここでも宿敵であったシンのプロフェッショナル魂を最大限に評価、話はプロレスマスコミ論にまで及んでいます。

※伊勢丹さんのご好意により写真掲載許可を頂きました。

(次回へつづく)
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